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執筆者の写真cs60azumaya

「セルフポートレート」始まります😁

こんにちは。

CS60-AZUMAYA-心カラダ整体です😊


今日から少し僕自身のことを書いていきたいと思います。

こんな人間が施術をさせてもらっています、というのをもっと知ってもらえたらと思い立ちました。

長い文章ですが、よかったら読んでもらえると嬉しいです。


「セルフポートレート」始まります😁


まずは生まれたところ

1989年6月8日、愛媛県松山市生まれ。

学校を出てからはしばらく建設業に携わっていました。


生活の転機となったのは18歳の時のことです。

全てのはじまりは右目が失明したことからでした。


15年前の当時1万人に1人かかるといわれる円錐角膜という目の病気になりました。

右目の角膜が裂けその名の通り目の前が真っ白に。

左目しか見えない状況で病院へ行き、先生からは「もうこのままなら最悪移植、移植をしないで保存療法でも視力が戻るかどうかは分からない」と言われます。 


正直どうしようと思いました。

今までの当たり前、普通が普通では無くなるということが目の前に突きつけられ愕然としました。


そのまま病院から自宅へ戻り、TVをつけたらちょうど「意識でがんが治った」という言葉が聞こえました。

その時の言葉が胸に引っかかり、なんとか治れという思いで「自分は治る」と意識をして毎日毎日自分に言い聞かせ続けました。

その後2-3ヶ月経つまでに徐々に右目の白色が抜けてきて、3ヶ月後には右目の視界の白色はほぼ無くなりました。

病院へ行き先生に理由を聞きましたが、原因は不明ですと言われ診察が終わりました。


その時が「意識の大切さ」と「体の不思議さ」を認識した瞬間だったのだと思います。


意識の大切さは、以前筋力トレーニングをしていた時にも感じていました。

トレーニングをする時にどこの筋肉を動かしているかを意識する、それだけで明らかに筋肉のつき方が変わることは当たり前にあったので。

でも、またここへ来て意識かと、再度しっかりと確信を持ったというのが正しいかもしれないです。


その後左目もいつ視力が無くなるか分からないという思いから目が見えるうちに本当にしたい事は何なのかと真剣に考え、TVでよく見ていた世界遺産を自分の目で見てみたいと思い海外に行く決心をしました。

そこからお金を貯め、週一回英会話スクールに通いながら海外へ行く準備をします。

その後目が完全に治ってから、「今しかない、今行かないとまたいつ目が見えなくなるか分からない」と強く思い海外行きの飛行機のチケットを取りました。


続きはまた後日書きます。

今日はここまで。

読んでくださりありがとうございます😊





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